考える

最近、本を読んで思う事は義務教育中の授業における世界の見方が何とも画一的である事だ。中学の授業でアメリカについては政教分離が成され、(色々問題はあったけれども)人権の確立された先進国家という印象しか受けなかった。ところが現実はどうだ。それは日本やその他の国についても同様の事が言える。
もちろん、現実問題として授業時間数などで実現出来ない事は多いだろう。義務教育の中の基礎部分と言う事で覚えなければならない大前提もあるだろう。しかし、現状ではそれを『覚えさせて』終わりではないだろうか。『覚えさせた事』が重要だが、それは一つの側面である事も伝えられているのだろうか。
俺が義務教育を終えてそろそろ10年になるが、今はどうであろうか。多くの教師は問題だと思っているのだろうか。若しくは俺の考えが現実的ではないのだろうか。
俺は授業とニュースの間にギャップを感じた事があった。だからこそ自分で本を手に取ったし、今もそれを続けている。(既に悪癖と化しているが)しかし、それをしない人はどうなのだろうか。ニュースを見てそれを事実と認識出来てしまうのだろうか。(それこそ『あるある』の納豆問題の如く)
現役中学生の幾人かと交流を持ったが、学力は関係なく思考停止になってしまう人が多い事は実感してしまっているし、大学の知人にもそういった人間が少なからずいる事も俺を不安にさせる。俺は自分が事実のみを認識出来る人間である、などと思っている訳ではない。踊らされる事は多々ある。しかし、それなりに修正は出来るつもりだ。少なくとも思考停止にだけはならない自信がある。(何せ、このblogのタイトルは『思考の消化器官』だからな)
まあ、俺に出来る事があるとすれば、幾人かの中学生に若干の影響を及ぼしつつ、まとまりのつかない考えをこうして垂れ流すだけだ。