無題

 面白くもない内容なので読まない方が良いと思います。むしろ、気分を害します。

 首都圏で電車通勤・通学する人間であれば、『人身事故』と言う単語を見ない(聞かない)日の方が珍しいと思う。そして見れば「ああ、またか。」と思うだろう。自分もそうだ。しかし、当該車両に乗るか、その場に居合わせれば話は違う。そこには恐ろしくリアルな悲劇がある。

 今日、自分の乗った車両で人身事故に遭った。先頭車両に乗っていた。今でも警笛と普通では有り得ない振動が記憶に残っている。

 実は、人身事故の車両に居合わせるのは二度目だ。現場も含めると三度目である。恐らく、首都圏に住んで毎日電車に揺られている人だとしたら、それ程多くない回数だと思う。

 しかし、今回は今までとは違っていた。自分の受けた衝撃度が違っていたのだ。それは人身事故自体にではなくて、その場に居合わせた人間に対する衝撃だったと思う。


 過去二回はそれこそラッシュ時の遭遇なので、周りはほとんどが通勤客だった。反応は薄かったり迷惑がっていたりと、まあ普通だったと思う。それが、今回はラッシュ時からかなり外れた昼時であった。乗客も大半が中高年男女と学生だった。混雑具合は座席がほぼ埋まる程だ。

 電車がホームへ進入する頃になって異常に警笛を鳴らし続ける。明らかにブレーキが早い。そして衝撃の後、停車。おかしな話ではあるけれども、普通に考えれば転落か飛び込みによる人身事故だろう。少なくとも自分と同じ先頭車両に乗っている人間には明らかなはずである。

 当然、電車はホームに進入する途中で停止したままである。そして直ぐに人身事故だとのアナウンス。悲しい事だけれども、ここまでは自分にとっては普通の出来事だった。

 しかし、その後に集まってくる中高年男女の数の多さにまずは驚いた。奴らは何を見たいのか。あの歳になってまで、他人の死に興味を持たなくてはいけないのだろうか。それとも、死が近付くと自分もああなるのだろうか。中には子供を連れた親の姿もあった。そこに『何か』があったら奴らは自分の子供に見せるのだろうか。もしかしたら、見せるのかも知れないな。(ソコには何もなかった様だが)

 その光景を見ていたら堪らなくなってしまい、何故か泣けてきた。自分でも良くわからないのだが、何故か泣けてきた。紛らわす為に頭に入ってこない音楽を聴き、本を読んだ。

 10分もしない内にホームに進入していた部分の電車の扉が開いた。その場にいる事が苦痛だったので、別路線の駅まで歩く為にホームに降りた。他の乗客もほとんどがホームに降りてきた。降りて改札に向かって歩き出すと、中年女性が駅員に「死んじゃったの」と尋ねている。自分のほぼ正面に座っていた女性だ。あの衝撃で予想出来ない事がまずおかしいのだが、死んじゃっていたら、何なんだろうか。彼女が作業を手伝うのか、それとも生き返らせてあげるのだろうか。死んじゃっていなかったら、何なんだろうか。彼女が傷の手当てをしてあげるのだろうか。彼女に何かが出来ると言うのだろうか。駅員が何と返答したかは聞こえなかったが(つまりはそれ程、彼女が大きな声で話していた)彼女は言った。「かわいそうに」。彼女に出来る事はそれ位だろうと思う。その下らない一言を大きな声で言う為だけに、彼女は駅員をわざわざ呼び止めた。

 もちろんその間に歩を止めてはいない。ホームを歩いていると、前にはいつの時点からいたのかはわからなかったが、4〜5人の男子高校生グループがいた。口々に「見た見た」と言い合っていた。見ていたのならば、何故ヘラヘラ笑っていられるのか。見ていたのならば、その場の異常さに気が付かなかったのか。ホームは11両編成の電車が停まれるホームである。そして、その車両は4両編成だ。その駅の停車位置はホームの先端である。つまり、4両編成であればホームの後ろ7両分には電車が停まるはずがないのだ。そして事故後の電車の先頭の停車位置は恐らく、ホームの5〜6両目付近である。事故の位置はもっと後方だと思われるので、良く考えると人がソコで待っている事自体が『普通』ではない。もちろん、次に来る電車が4両編成だと知らなかったり、前に詰めると知らなかったと言う理由でホームの後方で待つ事は十分考えられる。また、もし自分が次に来る電車を4両編成だと知っていながら、ホーム後方でわざわざ待っている事がわかった人を見たからと言って、何か行動出来るかと問われれば出来ないと思う。まず出来なかっただろう。だが、出来なかったからこそ長い間ではないかも知れないが、自分自身が嫌で嫌で堪らなくなっていただろう。少なくとも笑えない。


 その後の事は正直、良く覚えていない。改札を出て30分程度の距離にある別路線の駅まで歩き、電車に乗って大学の図書館へ行ったのだと思う。何もせずにダイヤが正常になったのを確認してから帰って来た。その間、ぼんやりと同じ事ばかりを考えていた。衝撃の瞬間の事ばかりを考えていたのだ。いつになったら衝撃の記憶がなくなるだろうか。