ロスト・イン・トランスレーション

ロスト・イン・トランスレーション―言語は世界観さえ左右する (The Wall Street Journal日本版)
一昨晩、この記事の内容を相方から聞かされ、二人で面白いね、と話していました。相方が読んだのは英語版の方です。(しかも、もしかしたらオンライン版でもないかも知れません。)
上記の記事にはなぜか書かれていなかったのですが、相方の話だと『オーストラリアのポーンプラーウ』の人々がどういった根拠で東西に時間の経過を当てはめるのかと言うと、太陽の昇ってくる方向から落ちる方向に向かって時間の経過を当てはめているのだ、と言う事でした。なるほど納得です。これはわかり易い考え方だと思います。また、英語圏の人々が左から右に時間経過を示すのは言語の影響と言うのも納得出来ます。
では、日本人はどうでしょうか。戦前くらいまでの日本人であれば、言語の影響で右から左に時間経過を示したでしょうか。それとも現代日本人もそうなのでしょうか。非常に興味があります。
個人的には本などを並べる際に右から左に並べていきますが、これが一般的なのかどうかもわかりません。言語の変異によって感覚も変異している、とするのが正解なのでしょうか。こんな風に考えるだけでも楽しいです。


私の相方は英語を問題なく操れ、留学経験もあり、海外に友人もいる事からFacebookを楽しそうに使っています。逆に私は英語にアレルギーを感じてしまいますし、もちろん友人もいません(国内外問わず)のでFacebookに登録はしてあるものの何一つ使えていません。確実に言語(と性格)が障壁になっています。
また、相方は普段日本語で生活している時と英語を話す時では人格が変わります。言語のせいなのか、英語を話していた時の環境がそうさせるのか、はたまた両方なのか判断は出来ませんが、言語が関係している事は間違いなさそうですし、本人もそれを自覚している様です。


近い将来、『サマーウォーズ』のオズの世界の様に、現実世界はともかくネット上ではリアルタイム翻訳が出来る様になるでしょう。しかし、今までは言語と同時にその言語の背景にある思考も(知らず知らずの内に)会得していたのが意識されない様になり、お互いが母国語で話をする事で言語的なズレ以上に思考のズレが浮き彫りになって来るのではないか、と思っています。
そのズレを修正する為には、やはり諦めず徹底的に話しをするしかないのかもしれません。これは同一言語を話す人同士でも同じでしょうけれどもね。


ところで、こんな事を書いていたら映画の『ロスト・イン・トランスレーション』を再び観たくなりました。結構、好きな映画です。