何となくドラえもんのワンカット24

 こう言いたくなる気持ちは良くわかります。人間嫌な事が続くと自分が不幸な星の下に生まれたんだ、と思い込んでしまいますよね。僕自身は思った事がないのですが、彼女さんにそう言われます。人に言われるって相当の事だと思うんですけど、実際の所どうなのでしょう。

$逃避ブログ-のび太11
(災難にかこまれた話 小学五年生1975年2月号より)
 これは「災難を前もって知ることができるならさけようもある」、と言うのび太ドラえもんが『災難報知器』と言う道具を貸すお話の1コマです。

 ちなみに、『災難にかこまれた話』は下の大全集に収録されています。

 僕が彼女さんに「不幸だ」と言われる所以はのび太の様な日常生活において、と言うよりはもっと大き目の出来事が原因なので、ここでネタにも出来ないのが悲しい所です(僕自身はそれを不幸だとは思っていないのですが)。

 それにしても『不幸』と言うよりも『嫌な事』と言うのは、結構自分自身が火種である事が多い様に思います。このお話のドラえもんが言う所の「注意力がたりない」人は結果として『嫌な事』に出会う回数が増して、結局『不幸』だと言う事になるのでしょう。

 ただし、確かに同じ様な行動をしていても、『嫌な事』が起こらないと言う人も中にはいるので、その原因が直接結果に結び付いてしまうか否かで、『不幸』かどうかが分かれる様な気がしなくもないですけれどもね。

 僕はこのドラえもんの道具の『災難報知器』の様に、予め自分に降りかかる災難がわかる状態だとしても、のび太と同じ様にきっと避ける事は出来ないのでしょう。

 それは僕が彼女さんに思われている『不幸』な事は全て自分の選択の結果だったからです。結果として『不幸』が待っていたとしてもきっと僕は同じ事を選択してしまうと思うのです。

 こういう話になると良く、彼女さんに「格好つけるなよ」と言われてしまうのですが、そういう風にしか生きられないので仕方ありません。不器用な人間なのです。全く残念な話ですよ。

 それを考えると『災難警報器』なんていう道具があったら生きにくいですね。地雷を踏むのをわかっていて突撃しなければならない、何て言う人生はそれこそ不幸ですから・・・。