映画感想文『13歳の夏に僕は生まれた』を書いた

映画感想文『13歳の夏に僕は生まれた』を書きました。
 ・13歳の夏に僕は生まれた − 映画の消化器官

感想文を書くのに非常に時間がかかった作品でした。書きたい事がたくさんあり過ぎて、しかも映画とはかけ離れた内容になってしまったので何回も書き直しました。結果、自分でも意味のわからない感想文に・・・。まあ、普段からクオリティ高くないので良いです。書き続けていれば、自分の書きたいことが上手く書ける様になるのですかねえ。


さて感想文でも書いた通り、考えさせられるテーマではあるものの観易い作品でした。イタリアやフランス映画はこの辺りのセンスも良いと思います。アメリカ映画や邦画で難しいテーマを扱うと、映画を観ているだけで頭痛がしてくる様なものが少なくない様に思うのですよね。その点、イタリア、フランス映画はサラッと難しいテーマを扱ってくれる印象があります。色々なテーマの映画があって良いとは思うものの、観ていて頭痛のしてしまう様な作品はその内容がいくら優れていたとしてもやはり観たくはないですよ。


この作品は移民問題ではありますが、この人間同士の断絶の種と言うのは人種、民族、国籍、宗教、世代、性別、地域、職業、などなど考えれば限りなくありますよね。日本では、経済があまりにも上手く回り過ぎていた時期にはその断絶が意識されてこなかったり、表面に出てこなかったりしましたが、近年の不況や東日本大震災の影響なども重なって、急速にその断絶が意識される様になってきた様です。


そういった意味で現在の日本人は、新たな意識の中に生まれてきている最中なのかも知れません。その意識に目覚めることが果たして幸せなのかはわかりませんが(多くの不幸が含まれるのは間違いありません)、『ソキ オボタミ オコキ コミボンバ リスス テ = 生まれたからには隠れられない』という言葉の通り、今から再び眠りにつくことは出来ません。となれば今の日本人に出来るのは、いかに人間の断絶を超える言葉を紡いでいけるか、と言うことなのだと思います。


自分にそういった言葉を紡ぐ能力があるとは思いませんが、この時代を生きる人間として、その意識だけは持っていたいな、と映画を観ながら思ったのでした。