考え 〜その壱・尼崎脱線事故〜

今週のはじめにあの悲惨な事故は起こってしまった訳だが、ここではその事故原因に関して言いたい訳ではない。
と言うのは、俺自身が何の知識がある訳でもなく報道されたものを通してでしか考える事が出来ないからだ。
早速、『逃げ』みたいで嫌なのだが、原因と言える物は本当に複合的な事であろう。
運転手の焦りからきたミス・車掌の運転・報告に対する判断ミス・JR西日本の事故前の運転手の状況に対する認識の甘さ・商業的理由からくる過密ダイヤ・車両の構造的問題・事件的要因(置石があった『かも』しれない)、etc・・・。
どれも報道されたものだが、もちろんこの中には『事実』に反した事もあるかもしれない。
だからこそ当然、事故原因は追究され改善されなければならない、とは思う。
ただ、俺が言いたいのはたとえ事故原因が解明され改善されても、それで『事故』がなくなる訳ではないと言う事に関してだ。
 ・運転手のミスが原因だから運転手の技術を向上させる。
 ・鉄道各社で話し合い安全基準を高める。
 ・脱線するのは列車に車輪があるからでリニアモーターにすれば脱線はなくなる。
どれも、話としては合っている様に見えるが、俺には疑問だ。
 俺はどんな事故も結局突き詰めると、全てはヒューマンエラーが原因だと思っている。
作業をするのは人間だし、作業をする人間を選ぶのも人間で、作業を確認するのも人間だ。
「機械を使って作業と確認をすればいいじゃないか」と言っても結局、その機械を作る・使うのは人間だ。
その中のどれかでミスがおきた時、必ずしも事故に直結するとは限らない。
ミスをした人間を他の人間がフォローする事が出来るからだ。
ミスの連鎖、もしくはミスをフォローする事を他の全ての人間がしなかった時にミスは事故へと繋がってしまうだろう。
そして、人間のミスは決してなくす事は出来ない。
 今回の事件で大きなミスをしたと『みられる』23歳の運転手だが、彼をこの事故の第一の原因だと考えるのは楽な事だ。
恐らく、死亡しているだろう彼が、責任の大部分をもっていってくれるならJR西日本とすれば助かるに違いない。
しかし、もちろん今回の事故において一番の責任はJR西日本にあるだろう。
どんな人間でもミスはする。ならばそれをフォローし事故に繋げない事、又なるべくミスが起きやすいの環境を作らない事はシステムとして構築するしかない。それを怠ったJR西日本が引き起こした事件だったと思っている。
(もちろん、他の鉄道各社であったとしても状況はたいして変わりはないだろうが)
ただ、人は個人としてシステムの一部の人間として、今回の事故を教訓とし、自分の持っている責任の大きさを再確認する必要があるのではないか、という事が俺の言いたい事だ。
 長々とまとまりのない文章を書いてきたが今回の事件を見て本当に感じるのは自分自身が襟を常に正し、多少曲がったとしてもそれを自己修正できる人間でいなければならない、という自戒だけである。