かしこさのたねがほしい

 今、ふと何かを思い付き「ああ、ここにメモしておこう」と書き始めた訳だけど、もう忘れた。
このblogは俺の備忘録としての役割もあったのだが、備忘録までも辿り着けない俺の記憶力。
人は記憶を忘れられるから生きていける、とは良く言われる事ではあるが、だからと言って俺は忘れ過ぎだと思う。もうちょっと覚えていてくれ、俺の脳。

ところで、話は変わるが、『備忘録』を『防備録』とタイプしてしまい、「はて?どっちが正しかったっけ?」と思ってしまった。
これもまた俺はよくやる。件の『備忘録』はボウという発音が頭に強く残っていた為に『記憶をなくすのを防ぐ』的な意味で『防』を使い先頭に持ってきて『防備録』としたのだと推測する。
しかし、これでは『防いで備えた記録』であって何に対してだかサッパリである。戦争か災害か、といった勢いである。
やはり、せめて『忘れる』事に対して防がなければならないだろう。と、いう事は『防忘録』となる訳だ。
ボウボウロク・・・なんだか語呂が悪すぎる。

さて、話を戻そう。今回はたまたま漢字であったが基本はやはりカタカナだろう。カタカナつまりは外来語・外国語・地名・人名の類だ。
例えを出そうにも、そもそも余り馴染みがない言葉だからこそ間違える訳で、そんな簡単に出てくるものではないが。

例1. キシリア=ザビ  ⇒ キリシア=ザビ (機動戦士ガンダムの登場人物。実害なし)
例2. ユニラテラリズム ⇒ ユニテラリズム (単独主義・自国中心主義=現在の米の状態。失笑をかう)
例3. カストロ ⇒ 思い出したくもない! (フィデル・カストロカストロ議長。完全スルー)

まあ、こんな辺りだ。上記のものは例であり、決して俺が使ってしまった、とか口走ってしまったとかそう言った言葉ではない。

なんだか、読み返してみると、記憶力や読みにくさとかそう言った問題ではなく俺自身の極めて簡単な問題な様な気がする。
俺って、もしかして傍から見たら可哀想な子ですか?